循環器内科学部門概要
沿革
1964年 (昭和39年)
循環器内科学部門の前身である第三内科学教室設立。初代主任教授 故新谷博一先生
1964年は本学に薬学部が併設されて医学部単科の昭和医科大学から昭和大学に校名が変更され、また、それまで准看護婦の育成を行っていた昭和医科大学附属看護学校が昭和大学医学部附属高等看護専門学校となって正看護婦の教育を始めた年でもあり、昭和大学が現在の四学部を有する医系総合大学へと発展していく始めの年でもありました。
第三内科学教室の開講に際して、初代の教授は、当時の本学第一内科助教授であられた故新谷博一先生が就任され、呼吸器・アレルギー、膠原病を主要疾患としていた第一内科、消化器、血液疾患の第二内科の専門範囲以外の循環器学、内分泌学、および神経内科学を主要領域として、東京大学医学部から飯野史郎助教授、本学の故成沢達郎講師、故杉田幸二郎講師など、8 名のスタッフで開講しました。
当時の循環器学は、心電計がようやく直記式になり、心電図の標準 12 誘導の解析が盛んになってきており、今日のような経皮的冠動脈形成術・心臓カテーテル検査やCoronary Care Unit(CCU)などの先進的な治療法はなく、日本人には少数であるとされていた急性心筋梗塞などの冠動脈疾患をテーマとする教室は少数でした。
故新谷博一教授の在任 24 年間の間に教室は爆発的な発展をとげ、日本で3 番目となるCCUの設置、トレッドミル運動負荷試験を使用した心臓運動機能の分析など、心疾患、特に急性心筋梗塞や狭心症の治療とリハビリテーションなど、現在の本邦のリハビリテーションの方法の基礎を作られました。
内分泌学は、飯野史郎教授の藤が丘病院赴任とともに縮小され、神経内科は診療科として分離独立して第三内科は循環器学中心の講座となっていきました。
1988年 (昭和63年)
二代目主任教授 片桐敬先生
1988年に新谷博一教授の定年ご退任に伴い、片桐敬教授が就任されました。
2007年 (平成17年)
三代目主任教授 小林洋一先生
片桐敬教授の定年ご退任に伴い、小林洋一教授が就任され、現在に至っています。
片桐敬教授は定年退職後、富士吉田教育部長から学長に就任され、2014年からは名誉学長に就任されました。
2008年 (平成18年)
昭和大学病院の内科学は大講座制へ
昭和大学医学部の内科学は大講座制に変更となり、1 講座、11 領域に分けられました。
これに伴い第三内科学教室から昭和大学 医学部 内科学講座 循環器内科学部門に正式名称が変更となりました。
片桐敬著 「昭和大学医学部第三内科・循環器内科五十周年を顧みて」より